博物館で触れる、台湾の歴史②

二二八記念館~悲惨な時代の幕開けとなった歴史事件~

台湾において史上最大の悲劇と言われる「二二八事件」
発端は1947年2月27日、戦後中国大陸からやってきた国民党政権統治下の台北で、
闇タバコを販売していた女性が密売取締員と警察官により殴打されたことに抗議する市民が、
翌28日にデモ行進を実施。行政長官公署や専売局前で抗議行動を行ったところ
憲兵隊が階上から無差別の機関銃掃射で非武装のデモ隊を銃撃、殺害した。

日本統治下の1930年に建てられたラジオ局「台北放送局」が戦後「台湾広播電台」と改称され、
二二八事件に抗議する人々がここから事件に関する放送を行った。

同記念館では当時のことを知る方々によるボランティアのガイドが用意され、
今回お世話になった陳萬益さんもその1人。
陳さんは日本語教育を受けたため日本語を話すことができるうえ、
事件の引き金となったタバコを販売していた「天馬茶房」にいたという。
(写真左:日本語ガイドを務める陳萬益さん、右:事件発生年、若かりし頃の陳さん)

天馬茶房は太平町2丁目、現在の南京西路185巷にあり、
沖縄や香港、上海などから密輸された外国製タバコを販売しており、
陳さんはそのきれいなパッケージを眺めるのが好きで日々通っていたのだそう。
ところが騒ぎが起きて、陳さんは慌てて自宅に戻り、息を潜め隠れて過ごした。

事件の背景には、腐敗した国民党政府の政治体制と、
国民党以前に大陸から移民した「本省人」よりも
以降の移民「外省人」の優遇に対する不満がある。
日本の敗戦による撤退から本省人が「祖国復帰」を喜んだのもつかの間、
政府の汚職に失望していた中の事件をきっかけに、本省人と外省人の対立も激化。
総司令官・陳儀は「独立派の暴動」などと偽情報を蒋介石に送り援軍を要請し、
送り込まれた第21師団と憲兵隊らによる虐殺が始まる。
多くの知識人が投獄、拷問され、それから40年にも渡る白色テロ(戒厳令)時代に突入したのだった。
(写真右:敗戦により帰国する日本人と、台湾に上陸する国民党軍
当時の風刺漫画。手と足に針金を通され、基隆港から海に落とされた本省人を描いている

専売局認定タバコ販売店の標識

天馬茶房で殴打された女性。夫は早逝しタバコ売りで家計を支えた。

当時国際的に禁止されていた「平頭弾」が撃ち込まれた医学書

犠牲者の数は28,000人に上ると言われる。

info
タイベイアーアーバージーニエングワン
台北二二八紀念館
住:台北市中正区凱達格蘭大道3號
電:02-2389-7228
営:10時~17時(月曜休み)
bit.ly/2OyttQU

ACCESS
MRT淡水線「台大医院」駅1番出口から二二八紀念公園の中を南下。
公園内南西角に位置

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