1947年の「二二八事件」から87年に「戒厳令」が解除され、 91年に関連条例が撤廃されるまでの40年余り、蒋介石率いる国民党政府は反政府勢力の弾圧を行った。 この期間を「白色テロ(白色恐怖)」と呼び、14万人が投獄、うち3000~4000人が処刑された。
台湾にとって忘れてはならず、また悲しく凄惨な歴史である「白色テロ」。 軍事政権によって人々は言論、集会、結社の自由を奪われ、 その多くが不公平な裁判で罪を着せられ、拘束され、拷問され、処刑された。 国家による暴力的な人権侵害は、ナチスドイツや戦時下の日本でもみられた。 しかし台湾のそれは世界的に見ても最長と言われる40年に及び、しかも海外へ知られないよう周到な対策を打ったうえで行われた。 (写真:「軍事法廷」は、裁判長と検察官、書記官が同じ上段に並び、弁護人と被告人が下段という配置)
熱意溢れるガイドの賴元裕(ライ・ユエンユー)さん ガイドの賴さんは当時まだ生まれていなかった若い世代だが、 多くの文献資料を読み、生存する当時の「受難者」から話を聞いているという。
賴さんの話で特に印象的だったのが、蒋介石による判決文の修正について。 黄温恭という人物が裁判で15年の禁固を言い渡されたにも関わらず、 蒋介石がこの判決書を赤字で死刑に修正。黄さんの遺族はこの事実を知らされず、 2007年に展示された蒋介石の手稿から書類を見つけ、実に死後53年経って遺書を手にすることとなった。 (写真:収容施設「仁愛樓」。約1万人が収監された)
洗濯物に受刑者の名簿を忍ばせて外部へ運び出し、海外にこの状況を知らせるとともに支援を呼びかけたという。
トイレは囲いのない和式で、洗濯や入浴もこれを使う。
収監者用の足枷。その重さを体感できる。
接見室。週に一度、10分間のみ家族と面会できたが、北京語以外は使用を禁じられた。
敷地内の記念碑に並ぶ受難者の名前。 3000人、4000人といった数字ではなく1人ひとり名前を持った人だったことが実感できる。
ガイドを希望する人は10時半か14時半にインフォメーションセンターへ。 日本語の音声ガイドは身分証提示でレンタルでき、荷物を預けるロッカーもある。
(info) グオジャーレンチュエンボーウーグワン 国家人権博物館 住:新北市新店区復興路131號 電:02-2218-2438 営:9時~17時(月曜休み、10時半と14時半から中国語ガイドあり) U:www.nhrm.gov.tw ACCESS: MRT松山新店線で「大坪林」駅まで、1番出口を出て民権路を西へ、 中正路を北に折れ復興路で左折。駅から徒歩約15分
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